結婚~披露宴まで

結婚とは

結婚の定義はいくつかあり、日本においては、婚姻届を出し戸籍に記載される婚姻を結婚と定義することもあります。その他にも『社会的結びつき』『経済的結びつき』『人間的結びつき』『法的正当性』の要素に着目した様々な定義のしかたがあるようです。根底にあるものは「契約」という概念で、結婚というのは男と女が結びつくヨコの関係であるとされ、一般的に血縁関係にない男女であるので結び付きは契約的になります。一部の国または地域では、男性同士や女性同士の同性結婚も法的に認められています。内縁関係であっても、実際に夫婦関係が構築されているのであれば、結婚と同様に扱われるケースがあります。フランスでは、結婚は契約として解されるため、契約書を取り交わす必要があり、挙式だけでは法的に結婚を行ったとは認められないそうです。

日本の旧民法下での結婚

婚姻の成立要件は、 男は満17年、女は満15年に達したこと、 現に配偶者をもっていないこと、 姦通によって離婚または刑の宣告を受けたものは相姦者と婚姻が出来ないこと、女は前婚の解消または取消の日から6か月を経過したこと、 直系血族間、市町村長に届出をおこなうこと、 男が満30年、女が満25年に達しない間は家に在る父母の同意を得ること、 三親等内の傍系血族相互間の婚姻でないこと、 家族は戸主の同意を得ること、 などです。 市町村長に届出をおこなうことという要件を欠くときは婚姻は無効ですが、その他の要件を欠くときは取り消し得べきものとなって、法律所定の者が裁判所に取消の訴を提起することができます。婚姻の効力は、 夫婦間に配偶者としての親族関係を生じること、 夫婦は互いに同居の義務および扶養の義務をもつこと、 夫は妻の財産を管理すること、 配偶者の財産を使用収益する権利をもつこと、夫は婚姻中の費用および子女の養育費を負担する義務をもつこと、 日常の家事については妻は夫の代理人とみなされること、妻が重要な法律行為をするには夫の許可を得なければならないこと、などです。一夫一婦の共諾婚が定められ、かつ婚姻は市町村長に届出ることによって効力を生じるとして、厳格な法律婚主義が採用されました。


結婚と婚姻の違いとは

婚姻とは

かつては正式な表現として婚姻のほうが用いられることが多かったのですが、最近は「結婚」という表現が用いられる頻度がむしろ増えているようです。広辞苑では「婚姻」の定義として、「結婚すること」とした上で、「夫婦間の継続的な性的結合を基礎とした社会的経済的結合で、その間に生まれた子が嫡出子として認められる関係」としています。「結婚」の文字は「婚姻」の文字と共に漢籍を由来とし、日本では平安時代より用いられてきました。しかし、当時はどちらかといえば「婚姻」の文字の方が使用例が多かったようです。明治時代になり、この関係が逆転して「結婚」の二文字が多く使用されるようになったということです。(出典:日本国語大辞典第二版)


結婚と入籍

入籍とは

結婚することを一般的に「籍を入れる」と言ったり、特にマスコミなどでは「入籍」と表現する場合があります、この意味での「入籍」は、戸籍法上の「入籍」とは意味が異なります。一般に言われる「籍を入れる」・「入籍」は、単に「婚姻届を提出することで、男女が同じ籍になる」という意味です。これに対し戸籍法上の「入籍」とは、既にある戸籍の一員になること。既にある戸籍とは筆頭者が存在する戸籍で、これに入るには筆頭者の配偶者になるか、子として戸籍に加えられるしかありません。結婚は、戸籍法上では初婚の場合、婚姻届が受理されることにより、元々お互いが入っていた親の戸籍から離れて新しく戸籍が作られ、そこに2人が構成されます。その為、このケースでは戸籍法上の「入籍」とは言いません。ただし、離婚や分籍の前歴があれば当人が筆頭者であるため、その戸籍に配偶者を迎え入れればこれは戸籍法上の「入籍」と呼ぶことも出来ます。


素敵なウェディングを叶えるヒント

結婚式の起源

『古事記』、『日本書紀』一書第一などの日本神話における伊邪那岐命と伊邪那美命の国生み・神生み神話ではオノゴロ島に天の御柱を建て、イザナギが「私と貴方と、この天之御柱を廻って結婚しましょう。貴方は右から廻り、私は左から廻り逢いましょう」という約束をし、出会ったところで「なんとまあ、かわいい娘だろう。」「ほんとにまあ、いとしい方ですこと」と呼び合って結ばれたという描写があり、結婚式の起源ともいわれています。

平安時代・室町時代・安土桃山時代

通い婚の時代での帝においては、女御と家族が入った宮中の殿舎に、天皇が三夜しのんだ後発見されたという「露顕」という現在の披露宴に該当する宴をおこなっていたそうです。民間においても、平安期の結婚は男性が女性の下に三夜続けて通う形式ですが、女性の家ではその間訪れる男性と従者を接待します。3日目には露顕という披露宴が行われ、新郎新婦が披露されます。

和泉流の狂言『舟渡婿』では通い婚が「露見」した後に嫁と舅の家へ鯛などの魚と酒を持参し祝いをするという式を行うことが前提になっています。

永禄6年に来日し、安土桃山時代の日本の記録を残したルイス・フロイスの書簡によれば、「日本では結婚式をおこなわない」と記述されていますが、 この時代も有力な武家の婚礼は盛大に行われていました。また、高台寺では当時、下級武士だった豊臣秀吉とねねの結婚について、「土間に藁を引き、その上に薄い敷物を敷いただけのささやかな祝言」を挙げたという記録が残るなど、当然この時代においても身分によらず結婚式は行われていたそうです。

江戸時代~明治

婚席に神々が臨在するという考えは中世の床飾りから見られ、江戸中期の貞丈雑記に明文化されます。新郎の自宅に身内の者が集まり、高砂の尉と姥の掛け軸を床の間に掛け、鶴亀の置物を飾った島台を置き、その前で盃事をして結婚式をする、祝言が行われました。家の床の間は神様が居るとされる神聖な場所で、掛け軸や島台も神さまの拠り所でもあるとされ、当時から結婚式は宗教と密接な関係がありました。 少なくとも幕末から明治初期までの庶民による結婚式は、明治以降に確定した神前式の形式とは同じではなく、自宅を中心とし、婿が嫁方の実家でしばらくの間生活するという「婿入り婚」と呼ばれる形式であったとされています。また、江戸時代でも、同じ村内の者同士が結婚する場合には祝言が行われないか、あるいは簡素なもので、村外の者と結婚する例が増えてくるに従って形式が複雑化し、神前式に近いかたちになっていたそうです。庶民の結婚式の場合は、神職が吟ずる祝詞より、郷土歌や民謡、俗謡を歌うことが多かったとされています。

近年~最近

近年日本では、宗教にかかわりなく、教会式、神前式、人前式、仏前式などの結婚式が自由に選択されています。通常儀式の後披露宴が行なわれるため、結婚式を行う場所も出席者の交通の利便性がよく大広間が利用できるホテルの利用者が多く、次に多いのが結婚式場です。このホテルや結婚式場では、式場側で結婚式に関するほとんど全ての用意を行い華やかな演出まで行ってくれるので、式を主催する側には大変便利になっています。 これらの式場には神社や寺院、キリスト教会の出張先として別室が設けられ、主に両家の親族が入って式が執り行われます。その後併設した宴会場で盛大な披露宴を行います。また、近年ではハウスウェディングと称して一軒家を借り切って親族や友人など身近な者を招待し、パーティー形式の結婚式・披露宴を行うこともあります。


上質な結婚披露宴の作り方

披露宴の歴史

日本の結婚形態は、古代から中世、中世から近代、現代と、大きく3期に分かれていて、結婚披露宴も、結婚形態の変遷に伴ってその意味合いを変えてきました。古代から中世初期までは、夫が妻の元に通う妻問婚が広く行われていました。当人同士の恋愛から始まり、男が女の家に通って夫婦関係を発生させます。結婚を認めるのは女性側の親で、一種の婿取り婚とされます。女性側では多くの飲食物で婿を歓待し、親戚らを招いて婿を披露する宴会を催しました。平安時代には、「三日夜の餅」など結婚式らしい儀式も生じたようです。中世から近代に至る時期には、嫁入り婚が広まりました。嫁入り婚では、嫁が男性側の家の一員となる嫁入りによって結婚が成立し、夫婦の生活も婿方でされることが多かったようです。結婚は家と家との結びつきの端緒という側面が重視され、男性側の家に両家の親族らを招いて結婚披露宴が催されました。嫁入り婚は、武家に見られる父権家族制度の現れで、その成熟に伴って武家以外の社会にも定着していったそうです。封建社会組織が確立してくると、お見合いや婚約・結納、儀式の日取り、結婚披露宴の式次作法も整備され、小笠原流や伊勢流など、儀礼の流派まで誕生しました。明治時代に制定された旧民法の家制度、それに基づく戸籍制度でも、嫁入り婚を基本的な結婚形態として構築されています。戦後、公布された日本国憲法と、改正された現行民法の規定により、結婚と夫婦・家族に関わる制度と認識が大きく変わりました。現代では、結婚は、一方が他方の家に入るという形ではなく、「両性の合意」のみに基づいて、新しく独立した夫婦・家族を形成するという認識が強くあります。そのためお見合いは減少し、恋愛結婚が重視されています。また生活の実態としても、夫婦とその子だけで生活する核家族が多くみられます。そのため、結婚式・結婚披露宴は、夫婦の家やその実家で行われることが少なくなり、ホテルや結婚式場、レストランなどで行われることが多くなりました。大仰な宴席や家意識を敬遠して、新郎新婦の両親や兄弟姉妹、親しい友人・知人のみで簡素に祝う、いわゆるジミ婚も多くなっていますね。